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『ファイナルファンタジーIII』30周年記念スペシャルインタビュー Vol.1

4月27日に発売から30年を迎えた『ファイナルファンタジーIII』について、当時をよく知る田中弘道さんと石井浩一さんにお話をお伺いしました。
『FFIII』開発当時の思い出話や裏話など、ここでしか聞けない内容をお届けいたします!

第1回は田中弘道さんに『ファイナルファンタジー』シリーズとの出会いから『ファイナルファンタジーIII』との関わりについてお話をお伺いしました!

田中弘道プロフィール
『ファイナルファンタジーIII』や『聖剣伝説2』、『ゼノギアス』など、数々のタイトルに携わってきたゲームクリエイター。現在もガンホー・オンライン・エンターテイメントで活躍中!

●まずは田中さんと『ファイナルファンタジー(以下FF)』シリーズの出会いについてお伺いできればと思います。
田中:当時、もともとスクウェアは日吉にあったんですが、そこから銀座に本社を移転しまして、最初は石井(浩一)さんと渋谷(員子)さんの二人が小部屋で作り始めたのが『FF』の始まりでした。
そこに宮本(雅史)オーナーが、CESという海外のイベントでSST(Super Software Team)っていう業界団体があって、それの集まりでナーシャ・ジベリっていう「Apple II」で個人でゲームを作っていたプログラマーと出会い、お互いに夢みたいなことを語り合って意気投合した。私や坂口さんはもともと「Apple II」ユーザーだったので、彼の名前を知っていたし、ソフトも持っていたからかなりレベルの高いプログラムを組むことも知ってたし、ああ知ってる知ってるってなりました(笑)。
そんな経緯でナーシャがやってきて、最初に作ったのが『とびだせ大作戦』、それから第2作に『ハイウェイスター』を一緒に作った。そのプログラマーを使ってしっかりしたゲームを作ろうっていう事で始まったのが『FFI』でした。
私はPC88とかPC98、FM-7とかのパソコン向けに『ジェネシス』というRPGを作っていたのでRPG制作経験があったのですが、『FFI』の制作当時は『スクウェアのトム・ソーヤ』というゲームに関わっていました。
ナーシャはアーケードのアクションゲームの制作経験はあったけど、RPGについてはあまり認識がないというか、どうやって作ったらいいかわからない状態だった。だからデータ設計とか、ゲームデザイン、経験値テーブルみたいなものとかそういうところを設定して彼にプログラムを組んでもらうような役割をするため、『FFI』の制作に関わることになりました。

●『FFIII』の企画を始めた際のコンセプトはどのようなものでしたか?
田中:『FFI』、『FFII』と来て続編を作ろうっていう話になった。『FFI』は画面デザインを石井さんがやってたけど、マルチウィンドウベースの画面デザインじゃないですか。モンスターの区画、プレイヤーチームがいる区画、メッセージの枠、パラメータの枠があった。それを『FFII』の時に一部取っ払って、モンスターとプレイヤーが同一線上にいるようなデザインにしました。あと、『FFII』は河津(秋敏)さんらしいストーリー寄りのものでした。
『FFIII』を作り始めた頃には、スーパーファミコンの噂なんかも聞こえ始めていた時期で、ファミコンとしてだいぶこなれてきていたし、容量もメガロムになって『FFII』の倍くらいになった。それで極限までデータを詰め込んでやろうと思って作ってましたね。あとは、ジョブチェンジですね。『FFI』の時はクラスチェンジって言ってたけど、小さいキャラから大人キャラになる、二頭身から三頭身になるのがかわいくない。だからクラスチェンジはやめてジョブチェンジにしようっていう事で(笑)。

●『FFIII』において田中さんが担われていたのは主にどういった部分でしょうか?
田中:企画としてはストーリー以外のほぼ全部の構造設計ですね。
『FFI』でシステム全般のデータ設計をやって、『FFII』ではシナリオイベントと熟練度システムのバトル周りを河津さんに任せていましたが、『FFIII』では坂口さんがまたストーリーを書き始めたので、その坂口さんがストーリーを書いていた部分以外は、バトルとメニューなども含め全体のシステム設計を色々やっていました。

●ジョブのデザインまわりは石井さんが関わった部分が大きかったという事でしたが、対してモンスター側も印象的な物が多いです。
田中:モンスターの設定とデータは青木(和彦)さんがやっていました。青木さんが北欧系の名前が好きで、ヨルムンガンドとかはそれで出てきましたね。モンスターのデータ構造とかプレイヤー側全般のデータは私の方で作り、モンスターはデータフォーマットとバランスを青木さんに渡して中身を自由に作っていただきました。

●『FFIII』はシステム寄りのタイトルと言われることが多い気がするのですが…。
田中:河津さんが関わってないから(笑)。
河津さんがストーリーを構成すると、かなり癖が強い感じになるからストーリー寄りの印象が強くなっちゃうのかもしれないですね。

●世界設定的な部分で、例えば浮遊大陸の設定なんかは当初からあったものなのでしょうか?
田中:そうですね、『FFIII』は小ネタ集みたいなものをチームのメンバーみんなで共有していて、例えば最初の大陸からワールドマップに出たらその外側がものすごく広かったとか、召喚獣もそこのネタの一つでした。小ネタ帳みたいなものを作って、そこからピックアップしたいくつかの素材をどうストーリーにしていくかみたいなところがありました。さすがに海底に沈んでた陸地が浮上した後に、しれっと普通の生活しているのには無理があるんじゃないかなと思ったりはしましたが(笑)。

●当時は意外とあっさり受け入れちゃいましたよね…。
田中:いいのかな、大丈夫かなって心配だったんだけどね。

●『FFIII』と言えば、乗り物もたくさん登場します。
田中:飛空艇が『FFI』、『FFII』の時と比べて『FFIII』のはめちゃくちゃ速いじゃないですか。当時『ザナック』(コンパイル)っていう高速スクロールシューティングゲームがあったのですが、それをナーシャに見せてこれぐらい速くできないかっていう話をしました。そうしたら一晩であのスピードのワールドマップのスクロールを作ってきて、じゃあそれで行こうっていうことで一番速い飛空艇を作ったんです。

●他にも大戦艦インビンシブルが登場したりとバリエーションがすごいですよね。

田中:その辺りも、みんなのネタ帳から採用されたものですね。

●『FFIII』で初登場したキャラクターにモーグリがいますが、初めて見た時の印象はどんな感じでしたか?
田中:なんだろう、特別重要な立ち位置のキャラクターではなかったしそこまで印象に残ってはいなかったです。数いるキャラクターのうちの一つで、洞窟に何かキャラクターを出したいっていうので入ったキャラでした。マスコットキャラクターとは考えてなかったですね、地底人の代わりでしたから(笑)。
石井さんがインフラビジョン(※ダンジョンズ&ドラゴンズで登場した造語で「暗視能力」のこと)がどうとか言ってたけど設定的にはあまり意味がなかったですね、洞窟で暮らしているから夜目が利くとかそういう話だったと思うけど(笑)。

●召喚獣のシステムも『FFIII』が初登場でしたね。
田中:バトルのフィールドを一本にした時に、プレイヤー側のビジュアルが違うじゃないですか、天野さんタッチのモンスターと石井さんがドットにしたキャラクターとで。プレイヤー側にもモンスターっぽいものを入れて、モンスター対モンスターみたいな構図を作りたいっていうところから召喚獣っていうアイデアを私が出して、最初に作ったのが斬鉄剣を使うオーディンでした。

オーディンのビジュアルは、たまたま天野さんのイラストの中にそれっぽい馬に乗った絵があったからそこから生まれました。なんでそれを斬鉄剣にしたのかはよく覚えてないけど、オーディンは普通は槍だろうっていう話はありましたね(笑)。
仕組みも、その前にやってた『ハイウェイスター』で、当時ブラウン管TV画面だったので道を曲げるのに走査線単位でスクロールさせていました。それの技術の応用で、画面の真ん中で走査線をずらしてスクリーンを分割してやればいいんじゃないかと。モンスターの表示をその部分で上下でずらせば真っ二つを表現できると思いました。だからモンスターがいる区画の背景は真っ黒で、ロケーションの表示は上に持っていったんです。当時のファミコンはレイヤーを持っていない一枚絵として切る必要があったので、モンスターの後ろに背景があると、それも切れてしまうからそうならないように真っ黒になっていました。

●その他の召喚獣ラインナップはどのように決まったのでしょうか?
田中:適当にモンスターの中からそれっぽいものを選んで、設定だけ渡して天野さんにイラストを描いてもらったりしてた気がします。どっちかっていうと後付けな部分があるかな。

●一番印象に残っている召喚獣はどれでしょうか?
田中:やっぱり最初に考えたこともあるし、オーディンかな。

●召喚獣と幻術師のジョブはアイデアとしてはどちらが先にありましたか?
田中:ジョブが先だったと思います。そもそもジョブの種類がすごく多くなったので、それに合わせる形で性能を入れていった。ジョブを差別化するのが大変だったと思います。

●石井さんの話で、差別化のためにジョブ固有の能力を考えたというものがあったのですが…。
田中:コマンドが4つあるじゃないですか。基本の「たたかう」「ぼうぎょ」「にげる」ともう一つ、いわゆるスキルと呼ばれる部分をジョブごとに変えたいという話で、ジョブに対応するようなコマンドを考えましたね。いわゆる魔法に相当する部分が、魔法使いじゃない場合にどうするかっていう話で結構悩みました。結果、なぜ「りゅうきし」にジャンプを入れたんだろうとかっていうのはありました(笑)。

●今では竜騎士の代名詞といえば「ジャンプ」みたいになっていますが、確かになぜ「ジャンプ」かって言われるとわからないですね…。

田中:思い付きみたいなものが大きかったと思います。頭の中ではワイバーンみたいなのの足につかまって、上空から降りてくるみたいなものをイメージしてたんだと思います。もともとの石井さんのイメージは、たぶんドラグーンのイメージだったのかも知れませんが。騎馬としてのドラゴンに乗って走るイメージだったのに対して、なぜか飛竜に乗ってるものを考えてしまったんです。

●お気に入りのジョブはありますか?
田中:「たまねぎけんし」ですよね。石井さんの絵を見て、こんなものたまねぎだって(笑)。
見た時にねぎ坊主に見えたので、そういう話になったと思います。それで「たまねぎけんし」にしてしまいました、全く悩まなかったです。

●『FFIII』のシーンで一番印象的なところはどこですか?こだわって作った部分などありますか?
田中:一番こだわって作ったのは、やっぱり最初の大陸から外の世界、海だけの世界に出ていくところですね。その時のだだっ広さというか、そこはこだわりたかった部分ではありましたね。

●あのシーンはすごくインパクトがありました。浮遊大陸だけでも結構な冒険をしてきたのに、はるかに広い世界が広がっていたのを覚えています。
田中:でも設定だけ先行してしまったので、さっきも言った通り、海底から大陸が浮上した後にそれまで海の底にいた人たちがなぜ普通に生活しているの、みたいなところまでは考えてなかったですよね。石化してたってことにしとけばって(笑)。

●『FFIII』に登場するNPCは後ろをついてきてくれたりしますよね。
田中:ゲストキャラという形で、今までプレイヤー4人だけで進めていくと、登場人物の存在が希薄になってしまう感じがあったので、NPCとパーティーを組みたいっていう。

●なるほど、ただそれまでとは逆に、一緒に戦ったりはしてくれなくなりましたよね。
田中:そこはプレイヤーの強さにこだわりたいというか、どれくらいの強さでプレイヤーが仲間にするかわからないので、変数化してしまうこともできたかもしれないですが、外して考えていましたね。

●4人組のじいさんが印象に残っているのですが、いいキャラしてますよね。
田中:あれはジジイ好きの坂口さんのキャラですね。何かっていうとジジイを出したがる(笑)。

●田中さんと言えば、個人的には『FFXI』のイメージも強いです。やっぱり、『FFIII』があったからこそ『FFXI』を作ったという部分はあったんでしょうか?
田中:そうですね、私の中では『FFIII』の時点で『FF』の中でのシステムとしては一番力を入れて作っていました。『FFI』~『FFIII』まではプレイヤーの成長曲線とかそういうものは同じテーブルを使っていました。それはそのあとの『ゼノギアス』でも使っていました。
逆に『FFXI』はそことは全然関係のない設計になっていました。『FFI』~『FFIII』で世の理というか、魔法体系なりジョブの体系なりっていうのはほぼ固まっていたので、それをリメイクしたのが、たぶん『FFXI』だったのかな。
『FF』は『FFIV』以降、どちらかというとストーリー寄りのものになっていったんじゃないかなと思っています。
『FFII』のバトルは河津さんに任せっきりにしていたので、ちょっと違うけど、『FFI』と『FFIII』は同じロジックというか、例えば「ケアル」の計算はこうっていう、パラメータと掛け率みたいなものを作りました。

●田中さんがまとめられた資料がスクウェア・エニックス社内にもたくさん残っています。
田中:それを始めたのは『FFIII』からなんですよね。『FFI』、『FFII』と作った後に、何も残ってないねって(笑)。
『FFIII』からはちゃんと資料を残して企画書にしようってバインダーでまとめて保管するようにしたんです。坂口さんもそれまで適当にマップエディターとかで描いてたものを下書きとかし始めて、それは堀井雄二さんの影響もあったと思うんですけど、堀井さんはパソコンを使わずに全部手書きで描かれていたので。それを資料集で見て、自分たちもこういう風にしなきゃって。

●『FFI』、『FFII』は容量の問題もあったと思いますが、プレイヤーからすると不親切に感じる部分もあった気がしていますが、『FFIII』ではジョブの配置など、こうしてほしい、こう進めていくんだよ、という指針をもらえていたように感じます。
田中:ちょっとお仕着せが強すぎたなって思っているところでもあるんです、自由度がなさ過ぎたなって。暗黒剣のダンジョンもそうだけど、暗黒剣が使えないとどうにもクリアできないじゃないですか。プレイヤーの任意選択でジョブやパーティを組めないので、最終ダンジョンは結局、「にんじゃ」と「けんじゃ」になってしまったし。

●逆に作り手側からすると気になってしまった部分ではあったんですね。
田中:そうなんです。それの反省から生まれたのが『FFXI』のジョブシステムでした。プレイヤーがどんなパーティでも、最後の闇の王に戦いを挑めるようにしたいっていう考えでした。

●それでも自分のレベルが下がらずに、ジョブを変えられるシステムは、自由度を感じました。ただ、ジョブポイントを貯めてないといざという時に困ってしまったりするんですよね。
田中:そこはジョブのグリッドがあって、戦士系から魔法系にジョブチェンジしたり、白から黒にジョブチェンジしたりといった現在のジョブからかけ離れたジョブに転職しようとすると、その分ポイントがいっぱいかかるようにしたんですよね。設定的にすべてが自由っていうわけではなくて、ジョブチェンジするにしても向き不向きがあるよって。『FFXI』ではそれはなくして、いつでも自由にジョブチェンジできるようにしたわけです、『FFIII』からの反動ですかね(笑)。

●ジョブ数が多かったので、何も目的が無かったら同じジョブで押し通したかもしれなかったんですが、切り替えないと進めないっていうのがあって、色々試せた気はします。
田中:せっかく作ったんだから色々使ってほしかったところはありますよね。ちょっとお仕着せっぽいところもあったかもしれないです、必要がなければ変えないですもんね、ジョブは。

●その他、苦労した思い出などはありますか?
田中:全部苦労した(笑)。
やっぱり容量が増えたことでできることが増えちゃって、めいっぱい使いたいじゃないですか。そうすると、あと1bit足りないとか1bit多いとかそういうのが出てきちゃって、データ設計変えたりしてっていうのが起こってましたね。
あと『FFIII』で苦労したことっていうとあれだ。制作中にメインプログラマーのナーシャ・ジベリのビザが切れちゃって、当時は青山の賃貸マンションに住んでたんだけど、そこを引き払ってアメリカに帰っちゃった(笑)。
まだマスターまで2か月くらいあって、しょうがないから自分たちが向こうに行くかって、PCやファミコンを持って渡米したわけです。怪しい機材を大量に持ち込んできた日本人がいるってことで、サンフランシスコの税関で坂口さんが捕まっちゃって、私たちはビジネス目的でと申告したので普通に入れたんだけど、坂口さんはきっとサイトシーイングとか言っちゃったのかもね(笑)。

●『FFIII』に関わったことが、ご自身のその後に影響を与えている部分はありますか?
田中:『FFIII』は相当きつかったですけど、一本のフィールドでモンスターとプレイヤーが同時に並んで戦っているところから、そいつらを動かしたくなって『聖剣伝説2』を作ることになったりしました。『聖剣伝説2』のシステムはもともと『FFIV』のシステムとしてデザインしていたもので、結局『FFIV』はATB(アクティブタイムバトル)っていうアクションっぽいコマンド制になって、聖剣の方はモーションバトルかな、コマンド入力をリングコマンド化した。どっちもコマンドRPGのリアルタイム化っていうところでは同じ方向性を目指してはいたんですけど、『FFIV』で坂口さんがそれまでフィールドで表示されていた16*16ドットの正方形のプレイヤーキャラクターと世界の箱庭感っていう物にこだわっていて、私はバトルの方の頭身、16*24ドットの少し頭身が高い方のキャラクターでフィールドもやったほうがいいっていうので衝突した部分があって、『FFIV』から離れてしまったんですよね。
スーパーファミコンになって解像度や表現力が上がったのに、未だにファミコン時代の小さいサイズのキャラクターにこだわるのかっていうところに疑問があったんですよね。坂口さんは世界の広さを感じさせる箱庭感っていう物にこだわりたかったんだとは思うんですが。そういういきさつで『FFIII』の後、『FF』ではない自分の作りたいものを作ろうと思うようになったのかもしれません。

●本日はありがとうございました!

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